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ぶろん氏は語る

僕達は独りじゃない

自分を愛する心が欲しい

 

何とか前を向きたいところであるが、自分を疎ましく思うのも確かである。それでも毎週病院には通っているし、毎日ではないけれどもシャワーを浴びる日のほうが多いし、恋人と会っているし、買い物にも何とか行けている。一人じゃない時間を過ごすことと、駅の反対側の商店街に出る時等に駅近くの喫茶店に寄るのが最近の細やかな楽しみとなっている。喫茶店に寄る時はドリンク回数券を駆使している為、財布にはそこまで響かない。

 

半年前の自分は起き上がるのがやっとで、買い物に出るのも億劫であったし、シャワーを浴びない日の方が圧倒的に多かった。週に一度在るか無いかの外出の際にだけシャワーを浴び、食事は近くのコンビニで買ってきたもので済ませた。料理なんてとてもする気になれず、掃除も全く出来ない日が何日も何週間も何ヶ月も何年も続いた。無理に無理を重ねて過ごす日々が辛くて仕方がなかった。そんなところからどうにか今の状態まで這い上がって来られた自分を密かに褒め称えたい。様々な人生の障害に拠って打ち砕かれた私の心は、新しい私を生み出すことで静かな成長を遂げようとしているのである。

 

そんな私にどんなことが出来るのか解らない。文章を書くことは好きだ。好きというより、執着に親しい感情を抱いているかもしれない。初めて文章を物語という形にしたのは7歳の時であった。怪談話を読み漁っていた当時、偶々、友達の家へ遊びに行く約束をした帰り道で当時住んでいたところのエレベーターに拷問されかけるという怖い夢を観たので、それをそのまま書いたのであった。担任の教師に話すと好意的に受け止めてくれ、クラスの朝の会で読み上げられた。少し恥ずかしかったが、自分の居場所が出来た様で嬉しかったのを覚えている。

 

Twitterでも呟いたが、私は自分が適した場所が未だに理解出来ていない。努力だけで何とかなるほど人生は甘くないし、努力でどうにかなっていたら私は今の様な現状を決して招かなかっただろう。元家族や親族を含めて、私を傷付けてきた対しても疑念が尽きないし、私の自尊心はズタズタに引き裂かれている。あのゴミクズの様になった自尊心と身体を、今の状態にまで持って来るのは大変だった。

 

私はもう誰の心の片隅にも置いて貰えなくとも、私の為に何かを生み出すのを止めないだろう。自分の素直な気持ちを受け止め続けるだろう。然しながら、今身近に居てくれている恋人や友人達を失えば、その哀しみにまた打ちひしがれてしまうだろう。手元にあるものを大事にしながら、自分のことも大切に出来るようになりたい。