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ぶろん氏は語る

僕達は独りじゃない

密やかな葬儀

 

もう何度死んだかも解らぬ自分の屍が、自分の傍らに積み上げられている。私は人と接する度にその相手専用の自分というものを作り上げて演じてきた。初々しさを求められれば初々しさを、女の子らしさを求められれば女の子らしさを、頭脳を求められれば頭脳ですらも必要に応じて提供した。それに見合った対価が齎されたかどうかは解らない。ただ一つだけ言えることがあるとすれば、私が今この様な状態になっている経緯には、少なからず様々な環境が影響したと考えるのが自然だということだ。

 

私は物事を口から発して説明するのが兎に角苦手である。過去をひた隠しにし、場が無言となった時、喋ることを相手に求めない為に自らも全く喋らず、相手に失礼な振る舞いをされたことや不当な扱いを受けた場合は傷付き、意識の底に沈むか、大量の薬を飲んで腕を切り、やがてその相手に別れの言葉だけを告げ、その事件を今後と切り離して考えることも出来ぬ侭、様々な問題を引き摺って生きている。

 

そんな私を知っている人間は居るのだろうか。居たところで、私はその人間に対して興味を抱かない可能性の方が高そうである。

 

時々自分でも狂っていると思う時があるが、当たり前だとも思う。自傷行為に人生の2/3を費やし、10年以上掛けて精神疾患と向き合ってきた私がもし真っ当な人間に見えるとするのならば、それは少しばかり相手側の見方が一般的なものと比べて歪んでいると思う。繰り返しになるが、私は真っ当な人間ではない。それらしいことを並べ立てているだけで、存在しているかどうかすらあやふやにしてしまいたいと願っている。何処かの田舎に小屋でも立てて餓死でも出来たら良かったのにと笑いながら、今日も私は自分の墓を意識の中で作ってやるのであった。