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ぶろん氏は語る

僕達は独りじゃない

最近の過ごし方

 

23時頃に寝て、11時半過ぎに起きて、冷凍庫から冷凍野菜を、冷蔵庫から焼きそばを取り出し、だらだらと焼きそばを作る。焼きそばは便利だ。特に業務用スーパーで具材を仕入れた際は既に野菜がカットしてあるので、気力が無くても何とか作ることが出来る。此処のところは3食焼きそばで済ませてしまう。毎食違ったものが食べたいとか、そんなことは今は考えていられない。そこまでの気力が無いし、興味も無い。家で少しでも自炊をして、食費を抑えることで頭がいっぱいなのである。

 

Twitterとツイキャスを交互に見たりニコニコ動画を漁ったりして、時間を潰している。前と比べて、電子書籍を観ることはあまり無くなった。今は吐き出すことが中心の期間なのか、気力の無さがそうさせているだけなのか考えたが、恐らく後者だろうと踏んでいる。

 

酒に逃げたくなることもままあるが、その度に薬を抜かなければならないのと、今月は我慢しなければならないので耐えている。レキソタンの5mgがもしもの時の安定剤だ。不安で堪らなくなった時はこれを飲んで寝てしまうに限る。薬と煙草と食事は私を裏切らない。それが私の中で数年前からのポリシーとなっている。楽になりたいことを追究した結果である。

 

楽になりたいなあ。

今日は通院日だ

 

朝9時前に病院に着いて真っ先に主治医に言われたのは「よく起きられたねえ」というお褒めの言葉であった。

 

「先生が午前中から居る日は朝のうちに来ようと思って」

「それは偉いね。最近は順調ですか」

「それは恋人との話ですか、それとも生活全般の話ですか」

「全般の話だね」

「ほぼ毎日シャワーを浴びられているし、料理もそこそこしています」

「それは凄い。幻聴の方はどうですか」

「たまに出ます」

「生活に影響が出たりしますか」

「そこまでではないですね」

「何かしてますか」

「相変わらず電子書籍を読んだり、Twitterやブログを書いたりはしています」

「それで集中力を削いで、対処しているわけだ」

「そういうことになりますね」

「最近困ったことはありますか」

「家族の夢とか観ると落ち込みます」

「上手く切り離して捉えられれば良いんだけれど、あなたは繊細なんだなあ。身近な人を亡くすだとか、大変なことがあると、3年は立ち直るのが難しいというけれど、あなたはまだ引き摺ってしまっているわけだ」

「そうですねえ」

「自主性も取り戻してきた様だし、働く余裕が出るといいんだけれどね」

「まだそこまで余裕が無いですね。経済的にも、精神的にも。働いたら働いたで職場の人間関係だとかで悩んで眠れなくなると思うんですよ」

「あなたの様な症状を持っている方は、真面目な働き者が多いからね。接客業は向いていないかもしれない。なるべく一人で出来る類の方が良いよ。それに加えて、あなたの場合は生活保護を受けているから、それに響かない範囲のことからやってみると良いかもしれないねえ」

 

この他にもたくさん話をしたが、結論から言えば引き続き「余裕が出るのを待つ」という課題を前にして今日の診察が終わった。薬も先週と変更は無く、朝はインヴェガ6mgとアーテン2mg、晩にストラテラカプセル40mgとアーテン2mg、寝る前にフルニトラゼパム「アメル」2mg、レボトミン25mg、グッドミン0.25mgである。プルゼニドはそこそこ余っているので一時的に外して貰った。

星空の行方

Ф

 

夜の帳が下りる時

星が舞い

月が昇る

 

地を這うネオンと

自動車の群れは

星の行方を

晦ませる

 

月の灯りも

秘めやかな

人の灯りで

隠されそうだ

 

煙を吐いて

息をつく

地に降りた星と

惑星の群れ

奔放主義

Ф

 

奔放主義者は

今日も往く

風は気紛れ

気も紛れ

 

心のままに進めども

赴く先は同じ場所

懐古録

Ф

 

潜在意識の

泥濘の底へ

滲みる涙の一雫

 

過去は濁りし

今も浅瀬で

呼吸する様

憐れなり

留まる心、溜まるストレス

 

此処のところまた幻聴が出始めた。私は妄想を相手に会話をすることが多々あり、夢も現実の延長線上にあるものとして捉えざるを得ない為に気疲れが酷いのだが、その思考の外側で只管に罵倒されるのである。私の中に別の意識が入り込んでいるかの如く現実を突き付けられ、私を雁字搦めにして逃げられない様にされてしまう。金銭と精神の余裕の無さと義務の無さに私の心は荒れている。俗に言うまともな仕事に就いたことは無いが、働いていた頃の方がまだ良い状態であったかもしれない。然しながら当時も当時で過度な緊張と責任感に押し潰されて寝坊や遅刻を繰り返していたので碌な状態では無かったと言えるであろう。「もう少し忙しければ活き活きとして来るかな」と主治医は零したが、私も今よりかは少しだけ忙しい日々を過ごせたら良いなと思っている。そう思っては居るのだが、担当のケースワーカーに上手く相談が出来無い。私は男性がどうにも苦手なのである。

 

近頃はほぼ毎日シャワーを浴びている。必要に応じて洗濯もしているし、掃除機もちょこちょことかけている。これは今までは殆どと言って良い程出来無かったことなので、少しは成長出来た様である。その代わり料理に対しては無気力になってしまい、しかも少し過食気味である。土曜日から今日に至るまでにかなりの量の食べ物とカロリーを摂取してしまった。挽回を図るべく、今日は業務用スーパーへ行って冷凍野菜等の食材を買い揃えて来た。元主治医の下で治療を受けた時に処方して貰い、今ではストックとして残してあるサノレックスを飲むべきか、無意識下で悩んでいる。レキソタンの様に許可が降りている訳では無いので、これは相談して主治医の判断を仰ぎたいところである。

何をしても一人

 

カラオケに模型組み、ファッションに外食、結局何をしても私は一人なのだなあと噛み締めることが多い。今も私は朝食と昼食を済ませて散歩がてらに向かった喫茶店でドリンクの回数券を頼み、サービスのドリンクを飲みながらこのブログを書き散らしている。今週は恋人に会えないらしい。恋人は元来忙しい人であるし、今月は試験も控えているので尚の事気忙しく、私に構っている余裕など殆ど無いのであろう。その事実が一層のこと私が一人であるということを確立させていく。私は一人だ。何処にいても、何をしても、何も変わらない。

 

孤独である時間は確実に私を蝕んでいくので積極的に潰していかねばならない。そんなことは解っている。だから今もわざわざ外に出て喫茶店に居るのである。それなのに何故胸の奥をびゅうびゅうと風が吹き抜けて行くのであろうか。これで何も変わらないとなれば私はただ黙々と家か実母の家で何かをする機械になる以外に選択肢は無い。元々家で何かしらのことはしているが、このどうしようもなく虚無に囚われている時間を減らしたい。心の休まる場所が欲しい。そう思うことは私にとっては悪いことなのであろうか。

 

昨晩に、取り出し違えた薬をそのまま全部飲んだ。過剰服薬であることは承知していたが、構わなかった。現実だけが非情に過ぎ行き、私の心は置き去りにされ、いつかも分からぬ日のままで留まっている。私にはいつも余裕が無い。自分で自分の機嫌を取ることで精一杯である。友達でなくとも構わないので対話の出来る相手が欲しい。社会に出たら何かしら変わるのであろうか。そもそも私の様な人間でも雇ってくれるところはあるのであろうか。想像もつかぬ。

怠惰と諦め

 

根底に眠るストレスが理性に揺さぶりを掛けて来る。自分の意識に殺意が湧く。主なストレスは寝ても熟睡出来無いことと先々に対する不安で出来ている。それから生理不順と肌荒れと抜け毛と性別のことや学歴や職歴や戸籍のこと等といった自らのコンプレックスが並ぶ。気にしたら駄目と理解していてもそれらのことは私の首を絞めるには充分なのである。悩みたくないが後ろに控えているものは仕方が無い。

 

絶縁したのか絶縁させられたのか解らない。どちらとも受け取れると思う。様々な環境で極限状態にまで追い詰められた精神は確実に私の人格を蝕んでいき、気が付けば私は何をしても心から楽しいと思えない心に育っていた。現実を受け入れるだけの器を持たぬ私は小さな意識の中で泣いている。自分の身は自分で守らねばならぬと教えられて試行錯誤した末に行き着いたところがこんな場所だったとは、10年前の自分なら想像もしなかったであろう。10年経ってもひとりだったよと告げたところで、10年前の自分が自殺を図ることに変わりは無いのであろう。そしてどの道未遂に終わる。

 

生きている実感がまるで無い。精神疾患を持つようになってから何かを形に残せたであろうか。誰かの心に私は居ることを赦されて居るであろうか。どちらにも、何処にも、私の存在を証明するものが無い様な気がする。愛されたかったと呟いたところで、相手は居ない。努力を怠れば見放されて捨てられるのが人生なのである。結局一時も気を抜けなかった。安らげる場所は何処にも無い。諦めよう。

人格のバランス

 

人間というのは不完全で在りながら完璧な生き物だなあと思うのは私だけであろうか。

 

例えば羽生結弦、彼はフィギュアスケート界に於いて日本の誇りと言っても良いのではないかと思う選手の一人であるが、彼がくまのプーさんが大好きであるということは最早周知の事実であろう。日本の誇りである選手が好きなものがくまのプーさんである。私はこの事実が未だに理解し難いのだが、茶目っ気のある人なのかなあと疑問に思いながら受け入れざるを得ない。彼がオーディオマニアで約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けているのは彼の生活している環境から派生したものとしてとても納得が行くのだが、何がどうなってくまのプーさんを好きになったのかがとても気になる。Wikipediaに拠れば理由は「いつも同じ顔をしているから」とのことだが、それは彼にとって「最も気を遣わずに接することの出来る相手」がくまのプーさんであるということのようにも捉えられる。この様なことを書くと彼の家庭環境や生活に於いてある種の偏見を抱いている様に思われる様な気もするが、私は素朴な疑問を抱いているのである。繰り返しになるが要約すると、彼がいつどの様な状況でくまのプーさんが好きになったのかとても気になるのである。知っている方がいらっしゃれば是非とも教えて欲しい。

 

例としてあげた羽生結弦や、例としては挙げていないがイチローの様に、自分の調子を保つ為に何かしらの努力、或いは息抜きをしている人は多々見受けられる。私にとって息抜きとは何であろうか。寝ている時だけの様な気もするし、誰かと会っている時のような気もする。私が持っているそれぞれの趣味に没頭している時は、友達を見付ける為であったり、生活リズムを整える為であったりで集中力を消費しているので、私の中では認識が根本的に異なる。休んでいる今はある程度集中力を要する作業が必要なのである。

 

息抜きがしたいなあ、とぼんやりと思う。この尖りに尖った性質は知っている人と直接会うことによって徐々に研磨されて丸くなっていく様な気がする。そのうち性格が尖り過ぎて、誰かの人格を刺してしまいそうだ。そうならぬうちに丸くなりたい。

 

意識の中の輪廻

 

どうしようもない孤独感に苛まれてカラオケボックスに来ているが、何も変わらない。私は独りのような気がしてならない。実際にはそんなことは無い筈なのだけれど、私は私であることをとても苦しく思う。私でない何者かになりたいと願って止まない。

 

養母がまだ生きていたら、今の私をどう思っただろうか。恐らくは此処まで人生としての道を踏み外すことは無かった。道を踏み外すとは何だろうかとも思ったが、兎に角今の私は此処に居なかった。将来を悲観して自殺していたかもしれないが、勉強をもっと頑張って大学に行っていたかもしれない。周りが羨ましい。私よりも恵まれている人がたくさんいるのは解った。死にたいという言葉が浮かんでは消える。明滅を繰り返す死への羨望は、私の存在を少しずつ消していく。友達も昔と比べたら随分と減った。会うことも無いであろう知人ならそれなりに居る。友達が欲しい。私が私であることを理解してくれる存在が、私の手の届く範囲に欲しい。

 

そんなことを考えたり願ったりしたところで叶う筈が無いし、私は私を受け入れなくてはならない。無いものを強請ったところで無いものは無いのだから、強請るだけ無駄なのである。生きているだけ無駄に思えてきた。統合失調症は平均寿命が短いらしい。私はその点に関しては少し夢を見ている。死んだら義父と実母はまた一緒に暮らしてくれるだろうか。なんだかんだで仲良く暮らしていた初めの頃に戻ってくれるだろうか。戻ってくれなくても構わない。私を息子の様に思ってくれなくとも良い。せめて娘と思ってくれるだろうか。

 

何処にも存在したく無くなる。そのうち私はまた全てを消して、自分など居なかったことにするのであろう。そのうち居ない自分にも堪え兼ねて新しい自分を生むのだろう。意識の中で繰り返される輪廻を断ち切りたい。